カウンセラーの岡田えりこです。ありがとうございます。

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みなさんは、『期待』って言葉を聞いて、どんなことを思い出すでしょうか?

私が『期待』から連想することは、
「期待に応えるためには、背伸びしたり、無理したり、したくないことをしないとでもがんばらなくちゃ。」
ってことなんですよね。
だから、『期待』って言葉が大嫌いでした。

でも、『期待』する裏側には、『『応援』や『希望の光』を向けている、ということでも
あるということに気づけば、ただただ重たいだけではなく感じられて、
ちょっと受け止め方も変わるんじゃないかなと思うのです。

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<『期待』するのはどうして?>


私は野球ファンなのですが、秋は野球シーズンがクライマックスを迎える季節でもあるのです。
今日話題にしている『期待』が叶えられるのか、裏切られるのか、毎日ハラハラドキドキするのです。
あと一歩及ばなかった時には「なんでやねん!」と本当に悔しくて腹立たしくなります。

期待している相手がチームではなく個人だったら「あぁ、もう!嫌い!」って言ってしまうかもしれません。
だし、何年も何回も悔しい思いをし続けると、シーズン初めからすでに悔しがる準備をしたりもします。
傷つかない準備です。

普段でも、いい結果が得られない確率が高い時、しますよね? 
傷つかないために、最悪の事態を初めから想定すること、しちゃいませんか?
人間関係でもありますよね?

私は野球ファン(他のスポーツファンも)はハートが強くないとな、と感じています。
だって、勝ってもらいたくて、必死で応援しているのですから。
でも、勝つことばかりじゃないですからね。

そう考えると、期待って『応援』なんですよね。
期待って「がんばってー!!」って声援することでもあると思いませんか?

私はけっこう必死で応援しちゃう方なんです。
試合を見るときは、最初から最後までガッツリ見たい方なんです。

では、何のために応援するんでしょうか?
ご贔屓のチームが試合で勝ったら、「やったー!!!」って喜びますよね。歓喜です。
で、幸せな気持ちになります。喜びたいんです。

すっごく「ありがとーーー!!」って思います。
 ↑
これが感じたいんだと思うんです。そう思いません?

で、祝杯をあげたいんです。喜びを分かち合いたいんですよ。
喜びのエネルギーは、本当に人を幸せにしますからね。


<『期待』は重圧>


かつての私は『期待』って言葉が大嫌いでした。
とにかく、期待に応えなきゃってプすごいプレッシャーを感じます。
私にとっては重圧です。

プレッシャーを感じると、飛び越えなきゃいけないものとか、頑張らないといけないことが、目の前に現れる感じがします。
すっごく憂鬱です。大きな壁が現れる感じがします。

だから、音楽コンクールで入賞して表彰されたっていうニュースなんかを聞くと、すっごく尊敬します。
プレッシャーなかったんだろうか?跳ねのけれるなんてスゴイ!って思っちゃいます。

私の中に『期待に応える』ってことが重たいことだっていう思い込みが出来上がったのは、やはり親との関係の中で作られてきたと感じます。

相手が誰であれ、『期待』されていることがしたくないことだったとしても、私は逆らってはいけない、って思っていました。
応えなければ、という思いが大きくありました。

それは、やっぱり親からの期待を感じながら育ってきたことが大きく影響していると思います。
教育熱心な両親だったので、いい学校でいい成績を収めることを期待されてましたから、いつも重圧を感じていました。

私はあまり成績が良い方ではなくて、親の『期待』を裏切り続けてきたので、「ごめんなさい。」という罪悪感ばかりを感じていました。『期待』と「ごめんなさい」が連結しちゃってるんです。
ですから、『期待』を感じると『ごめんさい』までが、心の中で一連の流れになっていて、初めからとても重苦しくて辛い感じになるのです。

心の中でパターンになってますから、両親以外の人の『期待』を感じても心の中では同じ反応が起こるのです。
ずっと『期待』は私を苦しめるもの、だと思い込んでいました。
できるだけ見ないように、感じないようにしてきた、避けてきたように思います。

本当は避けたいのは『期待』ではなくて『ごめんなさい』という罪悪感の方だったのですけど。

<『期待』は『応援』>


ちょっと野球の話を思い出してください。
『期待』は『応援』でしたよね。

「期待に応えられなくてごめんなさい。」っていう思いが大きすぎると、すっかり見えなくなってしまうのが『応援』です。
『応援』されているって全く感じられないのです。
『応援』されていることをすっかり忘れてしまいます。

重圧を感じすぎると、はじめから『応援』されていることなんか、分からないというか、
『応援』ではなくて、攻撃や突き上げのように感じちゃって、
『期待』が「ごめんなさい。許してください。」と拷問のようになってしまいます。

例えば、
私は大学受験の時に親からの『期待』を感じてました。
親が希望しているような学校には合格できそうにありませんでした。

当時の私は「期待に応えられなくてごめんなさい。」ってことばかりを感じていて、気持ちに余裕がなくて、真っ暗な気分でしたが、
親の立場ではどうなんでしょうか? 一体どう思ってたんでしょうか?
(あの頃の親と同じくらいの歳になったから考えれることではあるのですが。)

今だから思うことですが、苦しめたくて、期待したわけじゃないと思うんです。
できるだけいい学校に行った方が、将来やりたいことができる可能性が広がるからって考えるかな、と思ったんだと思います。
がんばれって応援したと思うんです。

でも、優しく応援するとは限らないですもんね。
応援してるんだけど「何やってるの!ちゃんとしなさい!」「なんでできないの!」って言っちゃうこともあるだろうと思うんです。(実際、言われてたし。)

野球見ててもエラーしたら「(打球)ちゃんと取ってよーー!」ってついつい言っちゃいますもんね。
応援しているだけに、同じ気持ちになって、喜んだり、がっかりしたりしちゃうんだと思うのです。

『期待』って『応援』でもあるんですよ。
周りに「がんばれ!」って応援されてるって、気づいてなかったことがたくさんありました。
応援に気づいていれば、結果がよくなかったとしても「ありがとう。」って言えたのに。
心に余裕がなかったんですよね。

手が届かないって思ったら、応援しないでしょ?
頑張ったら手が届くって思うから、がんばれって応援したくなるんですよね。
手が届いて喜ぶ姿をみて、自分も喜びたいわけです。

だから、期待に応えられなくて傷つく時って、喜ばせることができなかったことが悲しいのですよね。
私は『期待』に応えるっていう重圧を感じるような時に、

「あなたは『応援』されている」っていうことと、
「あなたには周りの人を『喜ばせたい』って気持ちがある」ってことが、
とても大切なことだと思っています。

私は結果よりも、「応援してくれてありがとう。」と「喜ばせたい。一緒に喜びたい。」っていう気持ちを大事にしたいし、みなさんにも大事にして欲しいと思っています。

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今日もお読みいただきありがとうございました。
あなたの心が優しさと安らぎに包まれますように。

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